レポート09 / 2016.06.30
伝記・偉人のウソ
子どもの頃、偉人たちの伝記を読んで憧れたり尊敬したりしましたよね。辞書によると、伝記とは「個人の生涯にわたる行動や業績を叙述したもの」と書いてあります。しかし、実は正しい情報ばかりとは限らないんです。やっぱり人が「伝」えて「記」すものですから、面白おかしく話をふくらませたり、自分の国の英雄が悪い印象にならないようにウソを書いてもおかしくないですよね。そこで、そんな偉人達の裏側を調べてみました。ウソかホントか。信じるか信じないかはあなた次第。
作家のウソ。
イメージとギャップがあるといえば、夏目漱石が有名。端正で真面目そうな顔立ちから品行方正な印象があります。しかし、妻である夏目鏡子が著した『漱石の思い出』を読むと、娘にいきなりビンタしたり、息子をステッキでボコボコにしたり。告発したのが家族ですから信憑性は大。いずれも3~4歳の子ども相手なので、完全に幼児虐待ですね。そのくせ気が弱いところがあったようで、怪談ばなしをされると「もうよしてくれ、ねられないから」と怖がった、なんて記述もあります。その他にも変なエピソードは尽きません。もっともインパクトがあるのは、アイデアに詰まると原稿用紙に鼻毛を抜いて並べた、というもの。『吾輩は猫である』で鼻毛を抜く作家・苦沙弥が登場してくることからも、執着がうかがえますね。
同じ東大卒の森鴎外もなかなかの変人。子どもたちに真章(マクス)富(トム)のようなキラキラネームをつけるほど海外志向で、理想主義の人物でした。医学博士としても有名ですが、どうやら細菌についての知識を取り入れすぎてしまったようで、極度の潔癖症だったと言われています。食べ物は生で食べるのが嫌で、なんでも火を通すタイプ。桃を煮て食べたり、まんじゅう茶漬け(※)というオリジナルメニューを好んで食べていたそうです。味は案外いけるらしいんですが......。潔癖症のくせに風呂嫌い。理由は「俺の身体に汚いところはない」ということですから恐れ入ります。
※長女・森茉莉著『貧乏サヴァラン』より
森鴎外宅での歌会に参加したこともある、歌人・石川啄木。東北出身で早くから妻子を持ち、上京して単身赴任。朝日新聞の校正者や教員をしながら文学を志したと聞けば、いかにも実直な苦労人という印象です。ところが、その苦労は身から出たサビ。嫁姑の仲がどんなに悪化しても放置、給料が入るとすぐ女遊びをして、親密に交際していた芸者を他の男にお金で売り、その後もその芸者に借金を申し込む始末。有名な『一握の砂』の句「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」なんてよく言えたもんです。さらに、極めつけが次の句「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」。これは「一度でも俺に頭を下げさせた奴らは死ねばいい」という意味。ここまでくると、歌人というより呪術師です。
もっとも有名な浮世絵師、葛飾北斎はかなりいい加減な性格だったようです。信じられないくらいの掃除嫌い。部屋が汚れる度に引っ越すという思い切りの良さで、その数なんと93回!まさに浮き世離れしています。また、お金に無頓着だったため、売れっ子なのにお金に困ることが多く、そんな時は大切な「北斎」の名前を人に売っていました。その度に「天狗堂熱鉄」「雷斗」「画狂老人卍」など(いちいちセンスが良いのが悔しい)、30回ほど改号しています。実は、もっとも有名な『富嶽三十六景』の神奈川沖浪裏は、葛飾北斎ではなく「為一」(いいつ)という名前のときに書かれた作品。絵の通りの粋な性格でしたが、思っていたよりかなり強烈です。
海外の偉人のウソ。
海外にも目を向けてみましょう。文化的な背景や翻訳によっても人物評はだいぶ変わるものです。デンマークの絵本作家・アンデルセンは、貧困層の生まれだったことから『裸の王様』『みにくいアヒルの子』『マッチ売りの少女』など、格差を描いた作品が特徴。特に初期の作品には、死ぬことでしか幸せになれない、という極端な結論が多く見られました。しかし当の本人は、毎晩枕元に「死んでいません」という書置きを残すほどの心配性。眠っている間に勘違いされて埋葬されてしまった男の噂話を聞いたために、そんなことになったようです。その他、親友だと思っていた貴族の息子にタメ口で話したいと手紙で伝えたら、丁重に断られたというエピソードがあります。それくらい階級の差があった時代ですが、あきらめることなく「そろそろ気が変わりましたか」と、死ぬまでしつこく手紙を送り続けたそうです。心配性で気をつかいすぎてお伺いをするあまり、図太くなってしまうタイプ。
ここまで見てきた偉人は、作品を生みだす作家。インドアで作業に打ち込む仕事ですから、「真面目で物静かと思いきや意外と...」というパターンが多いですね。では、人前に出る機会の多い政治家たちの素顔はどうでしょうか。
アメリカ初代大統領ワシントンは、なんといっても桜の木のエピソード。子供のとき、斧を試し切りするために桜の木を切り、罪悪感から父親に打ち明けると正直者だと褒められたというお話です。しかし、どうやらこれもウソのようです。もともとはパーソン・ウィームズという作家が残した伝記で登場したエピソードですが「遠縁の女性から聞いた」というのがまず怪しい。1745年当時、アメリカに桜の木はなかったとされ、しかもエピソード自体が第5刷から書き加えられたとなれば、怪しさも最高潮ですね。有力な説としては、実直だけど面白味のある人物とは言えなかったので、その実直さに適当なエピソードをつけたのではないか、というもの。ワシントンにしてみれば、気まぐれに斧を振り回すという、まるでジェイソンのチェーンソーのような恐ろしい一面が勝手に加えられたとも言えます。
同じくアメリカ第16代大統領のリンカーンも意外な一面をもっています。「人民の人民による人民のための政治」の名台詞を残しましたが、恐妻家としても有名。妻であるメアリーから、かなりのDVを受けていたようです。使いっぱしりの買い物でミスして殴られたり、飲みかけの熱いコーヒーをかけられたり、薪の棒で思いっきり叩かれたり。人民のためと言いつつ、すべては奥さんのためだったのかもしれません。
英雄ナポレオンといえば武勇もさることながら、3時間しか眠らないという話も有名。そして、これがウソだったというのも有名。「夜は3時間で昼寝をしていた」「繁忙期だけだった」「てんかんの発作で嫌でも起きてしまった」などなど、真相については諸説入り乱れています。もっとも、ショートスリーパーは実在するのでそれほどおかしな話ではありませんが。もし上司から「ナポレオンは3時間しか寝なかったんだから働け!」と罵られたら...
「ナポレオンは昼寝してたから、自分も会社で昼寝する」「アインシュタインは12時間寝てた」「ナポレオンと同じくらい給料ください」など、あの手この手で反論してみてください。
自分で書いてしまおう。
伝記をめぐる議論の究極形が聖徳太子。架空の人物説は有名ですよね。根拠としては、
・「厩の前で生まれた」などの逸話がキリストのエピソードに酷似
・お札にも使われた肖像画の冠、衣服、シャクなどは聖徳太子の時代になかったもの
・十七条憲法に当時にはなかったはずの考え方や意味が含まれている
・モデルはいたが、死後に信仰の対象となり神格化されすぎた
などなど。聖徳太子は、日本最古の書物『法華義疏』を著したとされています。歴史の教科書を読んでみると、このあたりの時代から情報が深くなりますよね。文字を残すからこそ、後世の人たちは過去を知ることができるんです。聖徳太子が疑われるのも、たくさんの文字が残っているからこそ。
それ以前は、どちらにしろ確かめようがないんですから。
特別で立派な人だと思っていた偉人達も、普通の人間らしい部分がたくさんありますね。他人に自分のことを書かれると、どうしても誇張される傾向があります。そこまで悪いことしてないのに大悪人のように書かれるのはもちろん、必要以上に良く書かれるのもウソっぽくて、何となく嫌な気がします。それならば、生きているうちに自分で書いてしまう、という手段があります。それが近年流行している「自分史」。家族に残したり、人生の記念にしたり。絵画、写真、俳句が趣味なら、これまでの作品をまとめるのも良いでしょう。その他、経営者が自分の考えを経営自叙伝として出版し、企業の宣伝に使うなんてケースもあるようです。家族がつくって両親へプレゼントすれば、世界にひとつだけの宝物。今から少しずつ書き溜めておけば、完成度の高い自分史をつくることもできますね。少なくとも、大悪人と誤解されて語り継がれることはないでしょう。
せっかく人生の記念に残すなら良いものにしないと意味がないですよね。お金をかけてやるのももちろんおすすめですが、気軽な価格でデザインや品質も本格的な、この自分史サービスなんていかがでしょうか。