レポート42 / 2017.12.05
絶版のナゾ
普段なにげなく耳にしている「絶版」という言葉。インパクトの強い言葉で、未来永劫、その本に出会えないんじゃないかというくらいの印象を受けます。一方で「絶版を乗り越えて復刊」なんて記事を見かけることもあってヤヤコシイ。いったい絶版ってどんなものなんでしょうか?
絶版とは?
絶版……つまり販売終了。入手できないということですね。専門的に言えば「出版社が出版する権利を失っている」状態。ちなみに、流通在庫がなく入荷未定の状態でも、出版社が増刷すれば買えるようになるものは、品切重版未定といいます。今の時代はどこも慎重ですから、「品切重版未定」になってから一定期間が経つと増刷の見込みが薄いということで、一緒くたに絶版と扱われることも多いようです。もしも欲しい本が「品切重版未定」になっていたら、ダメモトで出版社に問い合わせてみることをオススメします。それでも在庫無しの場合は、「なにとぞ増刷を!」と熱い想いを伝えましょう。
絶版になった本
それでは、過去にどんな例があったのかを振り返ってみましょう。戦時中など統制が厳しい時代には、性描写や政治思想をめぐって一方的な絶版処分(発禁)が下されることもありましたが、今回はそういったケースを除きます。
読者からの要望で絶版『自閉症 うつろな砦』
1973年の発刊以来、みすず書房から約20年にわたって販売されてきた本書が1992年に絶版。きっかけは読者からの要望でした。事の経緯については、絶版を申し入れた読者、大山正夫氏本人が著書『ことばと差別』に書いています。主張はひと言で、「自閉症の間違った認識を広める危険性がある」というもの。要望書は54項目にも及び、出版社側はこれを受け入れました。
常に研究が進む分野では、過去の本が「現在の非常識」になってしまうのはよくあること。もちろん発展途上にあったころの書籍も保存されるべきですが、販売流通し続けるかどうかは繊細な問題です。特に医療の分野は影響が大きく、患者や病気が誤解した場合に最悪の事態を招きかねません。常に読者から監視され、議論になるほうが健全といえそうです。
自閉症関連本では上野千鶴子の『マザコン少年の末路』(河合ブックレット)も同時期に絶版(1994年)。世間的にも関心の高い時期だったことが伺えます。
パクリ騒動『鏡の影』
平野啓一郎は『日蝕』で芥川賞を受賞。これに対し、ファンタジーノベル大賞を受賞した作家・佐藤亜紀は、この作品が自身の『鏡の影』のパクリだと指摘しました。当然、平野はキッパリと否定し、互いにブログで意見を表明する事態に発展しました。
こじれた原因は、発刊のタイミングにありました。1998年に『日蝕』が芥川賞にノミネートされてまもなく、『鏡の影』が絶版。2作とも同じ新潮社から発刊されていたため、話題作にパクリ疑惑が出ないように裏工作したのでは?との疑念が生まれたわけです。
結局のところパクリ云々は詳細に検証されることなく、佐藤側が出版権を引き上げる形で決着。新潮社には決別宣言をつきつけました。現在、『鏡の影』は講談社文庫から発売されています。
消えた『MASTERキートン』
2005年、累計1500万部を売り上げた大ヒットマンガ『MASTERキートン』(浦沢直樹・著)が突如として書店から消えてしまいました。そんな異常事態にもかかわらず、公式な発表はなし。そのまま事態を収束するかと思われましたが、数ヶ月後に恐怖の文春砲が炸裂しました。
長らく原作者とされてきた勝鹿北星(菅伸吉)氏は、実際にはほぼストーリーを考えていなかった。これを見過ごしてきた作者の浦沢直樹は、せめてクレジットを小さくするよう小学館に要望を出した。これに激怒したのが『美味しんぼ』でおなじみ雁屋哲氏。管氏とは『ゴルゴ13』でともに原作を手がけた“盟友”の間柄にある同氏が、「何事か!」と小学館に睨みを利かせた。と、こういう筋立てです。もちろん真相は未だナゾのまま。
自由になった『ブラックジャックによろしく』
漫画家・佐藤秀峰はツイッターを通じて、大人気作『ブラックジャックによろしく』の絶版と、二次使用の自由化を告知しました。いったいなぜこんなことになったのでしょうか?
この問題については、同時期に発売された暴露的エッセイ『漫画貧乏』(PHP研究所)を読めば一目瞭然。漫画家の意外な窮状について、明細つきで詳しく書いています。漫画はアシスタントの人件費がある分、小説家とはまた違った苦労があるようです。
最終的には出版社との意見の相違から、著者は絶版を決断し、自社運営サイト『漫画onWEB』をつくることになりました。本は売る人のものなのか(出版権)、作者のものなのか(著作権)。両輪あってのことと分かってはいても、お互いに譲れないケースはあるもので…。
佐村河内守関連本の回収
ゴーストライターをめぐって音楽業界を激震させた佐村河内氏ですが、出版業界も大変なことになりました。講談社は『交響曲第一番』(発行1万6500部)を、NHK出版は『魂の旋律 佐村河内守』(同7000部)をそれぞれ絶版処分。さらには、フィギュアスケーター高橋大輔の使用曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」の楽譜出版・レンタルを巡ってのトラブルが発生するなど、メディアミックスで責任を追及される事態に。
さらに二次災害は続きます。『みっくん、光のヴァイオリン』(佼成出版社)は、佐村河内氏との出会いによって表舞台に出ることになった義手のバイオリニスト、大久保美来さんを描いたノンフィクションですが、こちらも絶版。著者の神山典士氏が記者会見を開きました。
それ以降も関連書籍は何冊も出され、『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』(文藝春秋)は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。コレを盛り上がったと言っていいものなのか…。ノンフィクションという言葉の意味を考えさせられる大騒動になりました。
絶版になる5つの理由
出版社VS読者、著者VS著者、著者VS原作者…。1冊の本にもさまざまな人の思惑があるようです。他にも実例を調べてみたところ、絶版になる理由は大きく5つあるようです。
1.売れる見込みがない
つまり人気がない。これは当然の理由ですよね。売れなかった、もしくはこれ以上売れないから販売終了。本以外でもよくある、いたって普通の成り行き。「販売終了」を「絶版」と言い換えただけで、深刻に聞こえてしまうから不思議です。
2.出版社が倒産した
売り手である出版社がなくなれば、通常は絶版扱いになります。著者は新しく出版社を探して同じ内容の本を出すことができますが、出版権と著作権は別ものなので注意。前の出版社が作成した制作物(図・イラスト・装丁など)を、制作者の許可なしに使い回すことはできません。
3.著者の意向
出版社が著者の意に沿わない売り方をしたり、品切重版未定の状態で長く寝かせていたら、著者は出版権の消滅を求めることができます。中には「昔出したあの作品、今となっては恥ずかしくて…」なんてほのぼのした理由で絶版になることもあるんだとか。
4.内容に問題がある
致命的な間違い、行き過ぎた差別表現、盗作などなど、内容に問題が起きた場合。このケースの難しさは「何が問題か」の判断が難しいということ。基準は時代や文化的な背景によっても変わります。たとえば宗教関連本などは、特定の国を除いて出版される場合もしばしば。
5.大人の事情
本自体の内容ではなく、本を出したタイミングや契約・権利関係など取り巻く人たちのトラブルで絶版になることも。当初の想定以上に人気が出た作品にありがちですね。読み手にとっては、何の不満もないまま突然好きな作品が見られなくなる悲劇的な事態です。
これ以外にも「●●部限定」のように最初から部数を決めておき、売り切って終了というタイトルもありますが、そこまで計画的なのはごく少数。基本的には志半ばで絶版になる場合がほとんどです。
それでは最後に、絶版を乗り越えてたくましく復刊したレアケースをご紹介します。
復活した『ちびくろサンボ』
1899年に原作が出版され、かつては黒人のイメージを向上させる本として図書館の推薦図書にまでなった本。それが1940年代ごろ、政治的キャンペーンと相まって店頭から消えました。誤解されていることが多いのですが、問題なのは「ちびくろ」ではなく「サンボ」のほう。アメリカで歴史的には蔑称として使われてきた言葉です。そして黒人をあまりにもステレオタイプに描きすぎたこと、というのが問題になった理由でした。
日本では1953年に岩波書店が発刊し、1988年に絶版。累計百万部以上を売り上げたベストセラーで、山積みのパンケーキや、虎がバターになるという異次元の発想によるワクワク感に、親しみを感じている人も多いのではないでしょうか。当時の日本は、外国が発禁にしているという理由で絶版を決めてしまいました(実際は発禁になっていなかった)。
流れが変わったのは1996年のことでした。ジュリアス・レスター(文)、ジェリー・ピンクニー(絵)のコンビで、突如『ちびくろさんぼ』が復活します。ふたりは50代の黒人。この絵本を見て育った世代です。「いろいろ問題はあったかもしれないが」と前置きして、ふたりはこんな風にさっぱりと続けました。
「おもしろかった。それで十分さ」
絵本を読んだ黒人のふたりが発起する。解決の糸口はこれしかなかったのかもしれません。歴史的に差別とされてきた言葉を、本で差別のない言葉に書き換える。少し言い過ぎかもしれませんが、それに近いことが現実に起こったのです。
その後、『ちびくろさんぼ』徐々に元の好評を取り戻し、日本でも元の名前で復刊することになりました。詳しい経緯については、『ちびくろサンボよすこやかによみがえれ』という本を読んでみてください。なんともさわやかで、感動的な話です。
以上、絶版をめぐるアレコレを紹介しました。本は信頼が高く、教育面でも重要視されていますから、少しでも誤解を生む表現があれば敏感に受け止められます。もちろん法律違反ではないので、絶版にするかどうかは出版社次第。判断は難しいですが、「良い本は良い!」と言える文化があるといいですね。
最近では読者が投票して復刊が決まるWebサイトもあるようです。どうしても欲しい本がある人は、あきらめずにコチラで呼びかけてみるのもよいかもしれません。それにしても、みなさんありとあらゆる理由で思い出の本の復刊を願っていて…。本好きとしてはちょっと感動してしまうくらいです。