レポート54/2018.06.19
事件と本「三億円事件」編

イメージ

重大な事件や社会問題は、時に多くの本を生みだす。事件自体が何らかの形で決着したとしても、新たな証拠や証言、それらを分析する評論家の推測など、さまざまな情報が文字通り伝説となって広がっていく。今回は、事件発生から今年でちょうど50年目を迎える戦後最大の未解決事件「三億円事件」を例に、どんな本が出版されたかを紹介しよう。

「三億円事件」とは

1968年12月10日、東京・府中市で発生した窃盗事件。犯人は白バイ隊員を装って現金輸送車に接触し、「車にダイナマイトが仕掛けられている」と嘘をついて現金三億円を強奪した(2018年現在の価値で約20~30億円)。目撃情報による犯人像は18~25歳の男性。有力な容疑者として、白バイ隊員を父にもち、過去に同様の手口で窃盗を行っていた少年Sの名前が挙がるものの、事件の5日後に自殺してしまう。その後詳細な捜査を経て、正式にシロと判定されることとなった。
100点以上の遺留品が残っていたため捜査は楽観視されていたが、7年後の1975年(昭和50年)12月10日に公訴時効が成立。いまなお犯人を巡って、さまざまな議論が交わされている。

ノンフィクション

イメージ

●取材本

実在の事件をテーマに書かれた本に読者が期待しているのは第一に「事実」、ノンフィクションは花形だ。逆に内容を覆す新事実が出ると間違った本だと批判を浴びるのは必至であり、出版にはかなりの覚悟が必要なジャンルといえる。
時効を迎えた1975年前後には、「事件の真相」「謎を暴く」と謳った本が多数出版された。次第にはエスカレートして、「真犯人はこいつだ」「俺が真犯人だ」というすごいタイトルの本まで出る始末。まさに玉石混淆といった状態だ。

その中でも真相に近い本としてたびたび名前が上がるのが、1999年、一橋文哉氏によって書かれた『三億円事件』(新潮社)。ジャーナリストらしく地道な調査をもとにまとめられた作品で、謎の深さと臨場感をありありと伝えてくれる。
他には、新聞社の報道部が取材記録をまとめた本もある。前述したような派手なキャッチコピーこそないものの、最前線で取材した記者の文章・証言は貴重な資料だ。1975年に出版された『大捜査 3億円事件』(読売新聞社)は、いまとなっては1万円以上の値がついているプレミア本。残念ながら今回は入手することができなかった。

イメージ『三億円事件』一橋文哉(写真左)/『大捜査 3億円事件』読売新聞社社会部(写真右)

●ムック

本(Book)と雑誌(Magazine)の中間に、ムック(Mook)というジャンルがある。ひとことで、ビジュアル重視の読みもの本だ。返品期限のある「雑誌」ではなくあくまで「本」扱いのため、長く書店に置かれるという特徴がある。
ムック本は単行本に比べて大判で、現場の図解や証拠品といった資料写真も見やすい。週刊誌の誌面をまるまる転載しても十分読むことができるため、事件ものとの相性は抜群だ。1つの事件で1冊出されることもあれば、「日本の未解決事件●選」といったテーマでまとめられることもある。

ムック本は新情報があるわけではなく、速報性も乏しいが、まとめ本としては非常に優れている。たとえば宝島社の『20世紀最大の謎 三億円事件』を例にとると、冒頭に参考資料として関連書籍30~40種類のタイトルが列挙されていて、雑誌・小説・ノンフィクション…あらゆる情報をもとに編集されているのが分かる。

●手記

大きな事件には、被害者の暴露本や、犯人の告白本がつきものだ。ただし、今回は未解決事件のため、そういった本は出ていない。
近いところでは、捜査主任をつとめた名物刑事・平塚八兵衛の捜査メモ『3億円事件 ホシはこんなやつだ』(みんと)がある。出版されたのは時効を迎える2ヶ月前。自身の顔を使った迫力ある表紙からは、なんとしてでもお前を捕まえてやる!という気合が感じられる。残念ながらこちらもかなりのプレミア本で実物は入手できなかったが、かなりのインパクトなので、興味のある方は画像検索してもらいたい。

何かと規制の厳しいいま、事件の関係者が本を出版するハードルは高い。加害者にも自由に表現させることで、犯罪心理を知る上で貴重な証言を得られるが、一方で「金もうけは許せない」「セカンドレイプ」という被害者側にたった批判も当然出てくる。三億円事件の場合が広く書籍化されているのには、殺人が絡むような凶悪事件ではない点が大きい。

イメージ『20世紀最大の謎 三億円事件』(写真左)/『3億円事件 ホシはこんなやつだ』平塚八兵衛(写真右)

フィクション

イメージ

●小説

この事件をモチーフにした小説も多数出されていて、『小説三億円事件』佐野洋(講談社文庫)や松本清張の短篇『小説3億円事件』のように、あえてタイトルで元ネタを強調することが多い。表紙に人の顔が使われることが多いのは、モンタージュで有名になった事件ということもあるだろう。

ここでは、ひときわ明るいジャケットの『初恋』中原みすず(リトルモア)を取り上げたい。家族の愛情に恵まれなかった少女が、好きな人のために白バイに乗り、現金を強奪するというストーリー。実際の事件では容疑者が男性だったため、まったく架空の設定かと思いきや、その迫真の描写から、犯人グループを知る人物が書いたのでは?と噂を呼ぶほどの作品だ(著者は犯行当時18歳)。ノンフィクションファンにも受け入れられる出色の出来。2006年に宮崎あおい主演で映画化された。

この他にも横山秀夫のデビュー作『ルパンの消息』など、多少なりとも三億円事件が絡む作品は数え切れないほど出されている。

●漫画

2010年には、ついに「三億円事件の犯人の息子」が主人公の漫画が誕生した。主人公が2世代目に入るというのはさすがに珍しい。

『モンタージュ 三億円事件奇譚』渡辺潤(講談社)は、2010年から2015年に渡って連載され、2016年に福士蒼汰主演でドラマ化された作品だ。父親について回想するシーンなどで、あのモンタージュの人物が動くというのは漫画だからこそ可能な手法。見慣れていないせいか、妙に生々しく感じてしまう。

三億円事件は、多くの漫画でオマージュとして取り上げられている。たとえば、事件当時に朝日新聞紙上で連載していた『サザエさん』では、サザエさんが空っぽのジュラルミンケースを開けて驚くといったシーンが登場する。他にも新聞連載の作品は、こぞって事件をネタにしたという。
少年誌では『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治)がもっとも有名で、署のボーナスを積んだ現金輸送車が奪われ、両津勘吉が犯人を推理するという回がある。その話が掲載されたのは時効成立から5年後の1980年。いかにも時事ネタとして扱いそうな本作にしては若干様子を見た感がある。時効を迎えた事件だけに、警察のドタバタ劇を描くのは確かにちょっと気を使うかもしれない。

イメージ『初恋』中原みすず(写真左)/『モンタージュ 三億円事件奇譚』渡辺潤(写真右)

番外:事件を予告した本?

イメージ

ここまでは事件後に出された本を扱ってきた。ただ、そもそもこの事件には元ネタになった本があると言われている。

大藪春彦作『血まみれの野獣』(新潮文庫)は、事件のあった1968年に月刊誌『ボーイズライフ』(小学館)で連載されていた作品。「東京競馬場(事件現場と同じ府中にある)に爆弾を仕掛け、擬装パトロールカーで現金輸送車を襲う」というストーリーで、三億円事件の犯人はこの小説から着想を得たとされる。「強盗の教科書」と揶揄され、大薮春彦自身も重要参考人として聴取を受けた。それだけ優秀なトリックだったと言うことかもしれないが、なかなか迷惑な話だ。

しかし、そこでめげないのが大藪春彦。1995年には『野獣は、死なず』(光文社)と題して、登場人物の一人が三億円事件の実行犯という設定の本を出している。作家の魂も簡単には死なない。むしろネタができて大歓迎と受け取ったほうが、作家らしいのかもしれない。

イメージ『血まみれの野獣』大藪春彦(写真左)/『野獣は、死なず』大藪春彦(写真右)

ひとつの事件は、出版の世界にも大きな影響を及ぼす。まず新聞や雑誌が売れ、興味のある人はそれらを読み漁り、自分の見解を交えた新しい作品を生みだしていく。三億円事件にかかった捜査費用は九億円とも言われているが、事件が生みだした出版物の経済効果は、何十億どころではないだろう。もちろん、事件が起きること自体は喜ばしくない。しかし、そこから学び、興味を注ぐ人間たちがいるのもまた事実だ。