レポート67/2019.02.14
本と裁判
「出版の自由」が認められている現代の日本では、検閲による出版弾圧などは行われていません。とはいえ、何を書こうがどう表現しようが何もかも人の自由、というわけにはいきませんよね。出版で揉め事が起こったり、裁判にまで発展してしまったというニュースもたびたび耳にします。いったい何が問題になって裁判まで発展してしまうのか、実際の例をいくつか見てみましょう。
プライバシー侵害、名誉毀損
『殉愛』百田尚樹
●流行語にまでなった話題の事件
三島由紀夫の長編小説『宴のあと』は、登場人物のモデルとなった人物から「プライバシー侵害」で訴えられて裁判になりました。日本で初めて「プライバシー」と「表現の自由」が争われた事件として有名で、1961年当時、「プライバシーの侵害」が流行語になったくらい。結果は三島由紀夫の敗訴だったものの、モデルとなった人物の死後に遺族との間で和解が成立し、今ではふつうに書店で買えてしまうというのだから、なんだか皮肉な話です。
●個人情報をそのまま描写して出版差し止め
芥川賞作家・柳美里の処女作『石に泳ぐ魚』は、作品のモデルとなった女性の容姿、国籍、出身大学、専攻、家族の経歴や職業までもがそのまま描写されていたため、名誉毀損、プライバシー侵害、名誉感情の侵害で裁判に。裁判所から出版差し止めを求められました。にもかかわらず、柳美里と新潮社は出版を強行。内容を修正すれば良いと考えていたそうですが、ここでまたひと騒動。第三者による非難や擁護のバトルに発展。「表現の自由」論が白熱して世間をにぎわせました。それにしてもモデルとなった女性はふつうの学生。ある日突然、自分の個人情報が根こそぎ小説に書かれて販売されてしまったら…と考えるとなかなか恐ろしい事件です。
●取材不足から始まった大炎上
故・やしきたかじんと彼の最後の妻・家鋪さくらとの愛を、人気作家・百田尚樹が描いた『殉愛』。ノンフィクションにもかかわらず「まったく取材されないままに悪く書かれた」とたかじんの長女と元マネージャーが名誉毀損で訴えを起こしました。結果は百田尚樹側の敗訴。また「『殉愛』には事実からかけ離れた創作や嘘がある!」とさまざまな疑惑が浮上し、『百田尚樹『殉愛』の真実』という本も出版されました。この本に対しては、家鋪さくら側が人格権侵害で訴えましたが、しっかりとした取材に基づいていたので請求棄却となりました。ノンフィクションにおける取材の重要性が問われた裁判といえます。
『宴のあと』三島由紀夫(写真左)/『石に泳ぐ魚』柳美里(写真右)
わいせつ関連
『チャタレイ夫人の恋人』D・H・ローレンス
●モラル、アート、エロスのせめぎあい
イギリスの作家D・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』とSMのS(サド)の語源となったマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』。芸術作品かわいせつかが問われ裁判となったことで有名な2作品です。露骨で行き過ぎた性的描写があると理解しながらも出版した翻訳者と出版社がわいせつ物頒布等の罪に問われました。
『チャタレイ夫人の恋人』はわいせつが芸術を上回ると判断され、問題部分を伏せ字にして出版することに。その12年後に起こった悪徳の栄え事件では、裁判をお祭り騒ぎとして真剣に争う気がなかった翻訳者・澁澤龍彦が敗訴し、7万円の罰金刑に。当時澁澤は、「7万円くらいだったら、何回だって出しますよ」と強気で、作家の三島由紀夫からは「今度の事件の結果、もし貴下が前科者におなりになれば、小生は前科者の友人を持つわけで、これ以上の光栄はありません」と激励の言葉が贈られたとのこと。世間をにぎわす裁判も、2人にとっては友情を深めるちょっとしたスパイスだったのでしょうね。
●国内出版はOKで輸入はNG?の謎
タブーな耽美的性癖を表現してきた写真家、ロバート・メイプルソープ。1992年にホイットニー美術館で催されたメイプルソープ展のカタログ「MAPPLETHORPE」をある男性が輸入しようとした際、「わいせつ図画」にあたるとして税関から輸入禁止処分を受け訴訟になりました。それを受けて映画会社アップリンクの社長浅井隆が、「輸入がダメなら和書として出版しよう」と1994年に国内販売を開始。何の問題もなく5年間販売を継続して実績をつくりました。そして1999年、アメリカにいったん見本を持ち出して国内に再度持ち込もうとした際、「わいせつ図画」にあたるとして税関に没収され輸入禁止の処分に。
浅井は、国内で同じ内容の本を製造販売することはOKなのに、海外から持ち込むのはNGという矛盾した判断に対して、処分の取り消しと国家賠償を求め提訴し、勝訴しました。実は、映画からボカシをなくすための活動としてわざとこの訴訟を起こしたというから策士ですね。
『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド(写真左)/『MAPPLETHORPE』ロバート・メイプルソープ(写真右)
著作権侵害
『弁護士のくず』井浦秀夫
●まるパクリじゃないから…
作品集『棄景』とその続編に掲載した写真を盗用されたとして、写真家の丸田祥三が小林伸一郎を訴えました。問題視された2枚の作品を見比べてみると、撮影場所が同じで、角度こそ違うものの「同じときに撮影された別カット」と言われても納得するくらい似ています。しかし裁判では、「被写体の選択はアイデアであって表現自体ではない。写真全体から受ける印象は大きく異なる」とされ、丸田側の敗訴。盗作には当たらないとの判決になりました。完全一致じゃないと盗作にならないということなんですね…。
●著作権侵害裁判もネタにしちゃう
トヨエツ主演でドラマ化された人気マンガ『弁護士のくず』に対して『乗っ取り弁護士』を執筆した内田雅敏が、自著と登場人物やストーリーが酷似、しかも「蚕食」という自身が編み出したという言葉を使用していたことから盗作であるとして、該当の号と単行本の出版差し止めを求めました。結果、著作権侵害は認められず、さらに作者の井浦秀夫と小学館はこの裁判をマンガのネタにして逆襲したというエピソードも斬新!
著作権といえば、もっとも話題になるのが盗作問題ですが、実は裁判にならない場合もたくさんあります。裁判になってもなかなか有罪の判決が下りにくいのが要因のようです。そんな裁判にならずとも、盗作か否かで世間を騒がせたケースをみてみましょう。
『光の雨』立松和平
●国民的作家の盗作疑惑
『沈まぬ太陽』『白い巨塔』などで有名な山崎豊子。国民的作家ながら、たびたび盗作疑惑が話題になっていたことでも有名と言えるかもしれません。「婦人公論」に連載していた小説『花宴』では、エーリッヒ・マリア・レマルクの『凱旋門』に酷似している箇所があると指摘され話題に。当初「秘書が資料を集めた際に起こった手違いだった」と言っていたものの、のちに謝罪文を出し、日本文芸家協会を去りました。文壇から姿を消したかと思われましたが、1年後には文芸家協会に復帰し、その後、キムタク主演のドラマでも知られる名作『華麗なる一族』を発表しています。
●栃木弁で癒し系の作家による2度の謝罪
人気作家・立松和平が「すばる」誌上で連載した小説『光の雨』は、坂口弘『あさま山荘1972』の盗作だというクレームが入って、わずか3回で連載中止に。立松和平は非を全面的に認め、謝罪文とともに盗用箇所を詳細に示した対照表を掲載するという、丁重なお詫びを経て和解しました。 1998年に大幅に書き直して再出版、のちに映画化もされました。ちなみに、映画化と言っても原作そのままではなく、小説『光の雨』が映画化されるまでの模様が劇中劇をもちいて描かれています。…と、ほっとひと安心と思っていたら2008年に2度目の盗作騒動!立松氏の『二荒』に対して、自著の記述と類似していると『日光鱒釣紳士物語』の作家本人から抗議を受け絶版に。こちらも書き直したものを『日光』と改題して再出版されました。
●芥川賞候補作、盗作騒動の顚末
最近では芥川賞にノミネートされた作品にも盗作疑惑騒動がありました。北条裕子の小説『美しい顔』(講談社)の一部分に、石井光太のノンフィクション『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)からの無断引用があるとして批判が巻き起こり、喧嘩上等とも言える騒ぎに。講談社は強い姿勢を示し、作品の評価を世間に問うため『美しい顔』をweb上で全文無料公開しました。最終的に作家本人が「私は自身の目で被災地を見たわけでもなく、実際の被災者に寄り添いこの小説を書いたわけでもありません。そういう私が、フィクションという形で震災をテーマにした小説を世に出したということはそれ自体、罪深いことだと自覚しております」と謝罪。騒動の渦中にあったものの芥川賞候補作から外されることはなく、その点でも注目が集まった作品です。
・プライバシー侵害
・名誉毀損
・わいせつ物頒布
・わいせつ物として関税定率法による輸入禁制品に該当
・著作権侵害
は、裁判に発展する大きな要素のようです。
表現の自由は国民に与えられた権利ですが、人を傷つけたり、社会に悪影響をおよぼすとされた場合は訴えられることもしばしば。本づくりにおいては、慎重にならざるを得ない部分ですね。まさに自由には責任が伴うのです。
番外編・作家の逮捕歴
『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』冲方丁
本題の裁判とは少しずれますが、逮捕歴のある作家やその作品のエピソードをご紹介します。
●暴行で2回逮捕
芥川賞作家・西村賢太には2度の逮捕歴が!25歳のときアルバイト仲間ともめて止めに入った警察官を殴って逮捕、29歳のとき飲食店で酔っぱらって他の客にからんで暴行して逮捕されています。そんな自分自身をモデルにし、複雑な家庭環境も隠さずに書いた『苦役列車』で第144回芥川賞を受賞しました。
●薬物で2回逮捕
『下妻物語』や『ロリヰタ。』などで知られる人気作家でロリータ文化のカリスマ、嶽本野ばらは薬物で2度逮捕されました。2007年に大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕、2015年に麻薬および向精神薬取締法違反の疑いで逮捕。復帰第一弾となったエッセイ集『落花生』では、逮捕の状況、取り調べの光景、精神科病棟で断薬にいそしむ日々、30年ぶりに帰る京都の実家での暮らしなど、赤裸々に綴っています。経験を本にすることで自身を戒め、そして解放できるのは作家ならではかもしれません。
●殺人体験がベストセラーに!
ポーランドのミステリ作家、クリスチャン・バラは2000年に実生活で残忍な殺人を犯し、2003年にその事実をもとに書いた小説『Amok(殺気)』を発表しました。ベストセラーとなり多くの人に読まれた小説が、実話だったという衝撃!拷問して飢えさせ殺害するという内容が未解決の事件と類似していること、警察と犯人しか知り得ない詳細が描かれていたこと、作家の妻と被害者が関係を持っていたことなどで疑いが強まり逮捕となりました。判決は殺人罪で禁固25年。殺人者が人気作家になって自分の罪をエンターテイメントにしてしまうとは…何が彼をそうさせたのでしょうか。
●人気作家のDV容疑は冤罪だった
2015年8月、人気作家・冲方丁が妻に暴行をはたらいたというDV容疑で逮捕され、各マスコミが一斉に報じて話題になりました。渋谷署に9日間拘留されたものの、10月不起訴に。その後すぐ、週刊誌で留置場での様子を手記として連載開始!2016年8月には単行本として出版しました。冤罪で逮捕されてしまった経験から知り得た、警察、検察、裁判所といった司法組織の複雑怪奇な実態をあえて「喜劇」として描いた前代未聞の留置場体験記。火のない所にも煙が立つ可能性を考えて、一読しておくと良いかもしれません。
『苦役列車』西村賢太(写真左)/『落花生』嶽本野ばら(写真中)/『Amok』クリスチャン・バラ(写真右)
自分が犯した罪を小説として発表する気持ちってどんな感じなんでしょうか。「事実は小説より奇なり」と言いますが、犯行事実を描いたらベストセラー小説になってしまったというのも奇怪なことです。本にすることで世間が動き、世界が変わることもあります。裁判沙汰は避けたいところですが、影響を与える本は名作であると言えますね。